観光と宗教
- 2017/02/13
- 14:59

(信州小野にある枝垂れ栗の自生地)
異界を感じる知覚が己れに備わっていると
自覚する経験が今までに起こっていたなら
また感じ方は違っていたのかもしれないが、
『スピリチュアル』系はどうも苦手分野で
巷で持て囃される『パワースポット巡り』
に対しては、興味もなければ関心も向かず。
むしろ何故パワースポットに群がるのか?
全く不思議、やだやだミーハーだわぁ、と
ハスに構えていたのに、なんてことはない
巨樹 = そういうところに行くことじゃん!
むしろよっぽどミーハーじゃんか!という
つっこみで始まった2017年の巨樹@沖縄

首里金城の大アカギ
学名Bischofia javanica トウダイグサ科
(最近の分類だとコミカンソウ科)
沖縄戦の業火をその幹に記憶しながら
信仰の場として地元に根ざす大きな木。
話しかけてくれた地元のおじぃが名前の
由来や昔の物語を丁寧に教えてくれた。
そして1月下旬にはチーム風林火山の
〇坂部会で枝垂れ栗森林公園を訪れ

雪の白と黒い幹肌のコントラストを堪能。
(この樹形は葉っぱのない冬に見たい!
という話を覚えていてくれてありがとう)

そしてパウダースノーを踏み分けて

トチノキ(辰野 熊野諏訪神社)
学名Aesculus turbinataトチノキ科
(最近の分類ではムクロジ科)
これらに限らず巨樹は信仰の場に多い。
宗教を持たない身にはどうも、この時の
『信仰の場にお邪魔する感』が居心地悪く
思えば、以前、海外に暮らす友人から
『教会は地元の人々の信仰の場だから
外観を見るだけで、許可されていても
内部には立ち入らないことにしている』
と告げられ、でも伽藍内部にある彫刻が
見たかった私は後ろめたさを覚えつつ、
彼女には外で待っていてもらい観光した
あの時から、この居心地が続いている。
もちろん中には信仰と観光が渾然一体
となっている例(お伊勢参りとかお遍路、
サンティアゴ・デ・コンポステーラとか)
もあるのだから、そう目くじらたてること
でもないのか、と考えたりもするのだが
祈りの場であるからこそ、礼儀や気持ち
を真っ直ぐにもって、その大切な祈りの
対象をみせてもらいたいなぁと思う昨今。
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